戦後史会議・松江

私たちの会は日本の近代化に疑問を持っています。近代化、国家、天皇制、植民地、戦争、ナショナリズム、沖縄、憲法、日米安保、地位協定・・・課題はたくさんあります。私たちは忘れかけている歴史に学び、問題提起をしていくことを目標にしています。

◎山陰中央新報社主催『特別講座 戦争を語り継ぐ』の開催について

-山陰中央新報社では本年の9月から「戦争を語り継ぐ」をテーマに10回の特別講座を開催されます

戦後史会議・松江が行う講座や大社基地講座とは、一味違う角度で戦争のことが学べると思います

バラエティのある講座ですので、関心のある方はどうぞ申し込んでください

-有料ですが、1期ごと(3~4回)で申し込むことができます
◆時 間/全日13:30~15:00
◆受講料/8,800円(4回分)

第1回目の講座が9月24日開催ですので、申し込みはお早めにお願いします
会場:山陰中央新報社文化センター松江教室(松江市殿町383 山陰中央ビル4、5階)
受講料:第1期~第3期 各期(3講義分)6,600円、第4期(4講義分)8,800円
松江教室 電話(0852)32-3456  フリーダイヤル 0120-079-123
 (若槻)

◎雨の中でじっくり考える「震災時の朝鮮人虐殺」

0211c面倒な台風ですね

地震にしろ、台風にしろ、同じようなことが繰り返されて対応が後手に回るのは、その対策のために必要な投資をしていないことと、結局は人手不足が原因のような気がします (右 自警団の朝鮮人虐殺を伝える号外)

甘粕正彦基礎的・基本的、または長期的なことには予算もつかないし、人も割かない
政治家はそのようなことを言っても「票」に結びつかないからみんなで無視する
東北震災以降(あるいはそれよりも前からかもしれませんが)そんな風潮が「定着」したような気がします (右 甘粕正彦

アメリカ大統領選とあわせて日本の政党の総裁(党首)選もにぎやかですが、与野党を問わず、目先のことに右往左往して、結局は国民に犠牲と負担を強いるような新自由主義的な考え方から早く脱却してほしいですね

国民も、結局、損をするのは自分たちなのだから、目先のことにだまされて右往左往するのではなく、自分たちにとって、これから本当に必要なことはなにか、生活の基礎や長期的な安定をどのようにして確保するのか、を考えないといけませんね

政治はわざと目先のことをつくり出して国民の目をそちらに向けさせようとします
愚民政策の一つのやり方ですが、日本の代表が“中国が日本を侵略する危機的状況”であったり、“原発を推進することが最善の方法だ”ということでしょう

国民はそれにだまされてしまう…もっと根本的で、将来に必要なことはほかにあるはずなのに…

戦後史会議・松江は、結局のところ、政治家も国民ももうちょっと足元からじっくり考えようよ、ということが言いたいし、それに関係する事業をやりたいと思ってきました

政治家は見向きもしないし、国民も経済的に貧しくなればなるほど、精神的にも余裕がなくなってあくせくしてしまうから、状況は変わらないかもしれないけど(というか、悪化する一方のような気もしますが)、これからもあきらめずに続けます

1923年9月1日に関東大震災が発生しました

その時に「朝鮮人虐殺」があったことは周知の事実ですが、なんとそれをいまだに認めない人がいるようです

あったことをなかったことにして何の得があるのか、僕にはまったく理解できませんが、小池東京都知事はそれを認めようとしないらしい

小池都知事は「震災時の朝鮮人虐殺」を認める「メッセージを出してくれると思う」東大・外村教授
 <https://www.newsweekjapan.jp/stories/japan/2024/08/post-105574.php
|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト (newsweekjapan.jp)

この記事で泣けるのは、東京都職員が小池知事に逆らえないことです
一人一人の気持ちは知りませんが、職員の対応は次のようだそうです

【東大有志の要請文を出しにいった時も、都の秘書課長に「23年9月にどんなことが起こったのかご存知ですか」と聞いたが、それは答えられませんと言う。日本で一番高い山は富士山です、みたいな話なのに、絶対に答えない。東京都100年史(1972年)には、自警団がその場を去らせず殺した事例が多発した、大正東京の汚点だ、といったことが書かれている。そうした記述がちゃんとあるのに、今の都庁では朝鮮人虐殺はあったか、なかったか分からないことになっている。

もし「震災時の朝鮮人虐殺については ”答えられない” と答えなさい」という指示が本当に、東京都庁職員全員(3万人以上いるらしいけど)に徹底されているとしたら(これはパワハラだと思う)、あるいは具体的な指示はないのに、職員が知事の顔色をうかがって、「同調圧力」で忖度してそうしているとしたら、東京都庁はロシア政府や中国政府のように全体主義化しているということでしょうね

史実としての「朝鮮人虐殺」を認めないーこのレベルの低さには驚きますね

島根県民はこのようなことはないと思いますが、ここから始めなきゃならないのか、というのはあまりにもひどいですね

「朝鮮人虐殺があったかどうか分からないことにする」ことが、小池知事にとっては、自分の権力の座を守るための大事な物語なのでしょうね

僕には意味が分かりませんが…

知事として何らかの文書を出すか出さないかは別問題として、史実を認めるのか、あるいは「分からない」のであればなぜそれを調べようとしないのか、最低限それに対しては意見を言うべきではないでしょうか

しかし、与野党を問わず現在の国会議員が「関東大震災時における朝鮮人虐殺」をどう考えているのでしょうね

報道機関はこの際、この点についても総裁(党首)選で明らかにしてほしいですね

【お知らせ
グラントワの石見美術館において、9月21日(土)から12月2日(月)の期間、描く人 安彦良和展』が開催されます

安彦さんは『機動戦士ガンダム』などのアニメ作品や、『虹色のトロツキー』などの漫画で有名な方ですが、その展示会の関連イベントの一環で11月3日14時から15時30分にトークショーが行われ、その相方を僕が務めます
タイトルは「神在月歴史談義」です
どのような話をするのか、現在考え中ですのでお楽しみに
ぜひ『安彦良和展』にご来場ください (若槻)



◎8月15日について 2024

123毎年、「終戦記念日」という言葉を見たり聞いたりする時期には気持ちが悪くなります。
確かに「戦争は終わった」のですが、なぜ「終わった」ことを「記念」するのでしょう?
どうも僕にはそのことがぴんと来ないのです

そしてそのウラにあるいやらしいものが気になって、気持ちが悪くなるのです

海軍航空基地の形成と崩壊』でも、「敗戦」という言葉はおそらく十回以上使っていますが「終戦」という言葉は一度も使いませんでした

「敗戦」という言葉を使いたくない人が「終戦」という言葉を使う、おそらくこの事が一つあるでしょう

「全滅」を「玉砕」に、「後退」を「転進」と言い換える文化が日本の軍部や政府にはありました

「敗戦」を「終戦」と言い換えるのも同じ文化なのでしょう

天皇は敗戦を認めて戦闘行為をやめる旨の詔勅を出しますが(これを「玉音放送」とも言いますけど)、「敗戦」とは言っていません


戦局に勝ち目はなく、世界中に自分たちの味方がいなくなった、新型爆弾も落とされた、大勢の日本人が死んだ、だからポツダム宣言を受諾する、というだけです

要するに「敗戦(無条件降伏)」を認めているわけですが、はっきりとはそれを言いません

「勝つはずだったけど負けてしまった。迷惑をかけてすまなかった。戦争をやめて降伏する。」と、なぜ言わなかったのでしょう?

責任を追及されることが怖かったのでしょうか?

天皇は「神様」であり間違ったことをするはずはないのだから「敗戦」などしていない、ということなのでしょうか?

この詔勅を読むと僕はモヤモヤするのです

また、「これは正しい戦争である」「日本は絶対に勝つ」といって国民をあおり続けた軍部や政府や報道機関は、その責任を果たせなかったのだから、当然「敗戦責任」をきちんととる必要がありました

今でいえば「マニュフェスト」です

310万人の国民が殺され、2000万人の外国人を殺し、めちゃくちゃな予算も投じて、国土は壊滅して、その結果「敗戦」したわけですから、「戦争責任(戦争を始めた責任)」だけでなく、国民にたいして約束した結果が果たせなかった「敗戦責任」も当然問われるはずですが、天皇をはじめ政府や軍部の幹部は、だれ一人その「敗戦責任」を取りませんでした

東京裁判でも、「こんなことになるとは想像していなかった」「このような結果は予測できなかった」といって言い逃れました(いわゆる「無責任の体系」…原発事故とよく似ていますね)

さらに国民にも問題がありました

「玉音放送」を聞いて泣いた人も大勢いたようで(そうでなかった人も多かったでしょうが、「ほっとした」とか…)、「戦争責任」とか「敗戦責任」とかをきちんと追及しようという国民運動はほとんど起きませんでした

泣く気持ちにもいろいろありますから、わからないではないのですが、皇居に土下座して泣くシーンをテレビで見たりすると、やはり理解できないなあという気になりま

なにか、国民が「敗戦」を自分の責任として受け入れているようにも見えます(「天皇陛下申し訳ありませんでした」みたいなことを言う人もいるし)

なぜ国民が「滅私奉公」にマインドコントロールされて、「お国のために死ぬこと」を自分の生きがいにしてしまったのでしょうか?

日本国民は奴隷ですか?

さらに日本国民は(すべてではないけど)このようなあいまいでモヤモヤしたことをずっと平気(でもないかもしれないけど)で80年近くやり過ごしてきた…?

これが一番不思議で、僕を嫌な気持ちにさせることです



追伸

あれからもうすぐ80年

日本はアメリカに従属して、ずいぶんと米軍の戦争を手伝ってきましたが、自衛隊が他国の兵隊を殺したり、敵基地にミサイルをぶち込んだりするようなことはありませんでした

それをカッコつきで「平和」というとすれば、

日本の「平和」は、310万人の日本人の死者と、2000万人の外国人の死者を、「誤り」で「間違い」で「失敗」だったと考えたからこそ成り立つものでした

逆に言えば、「敗戦」したことと、それに関係するもろもろを「否定」しなければ日本の「平和」は成り立ちません
これを「自虐史観」などという人はバカです

いうまでもないけど、「特攻精神」と日本の「平和」とは関係ありません

「特攻」をやろうがやるまいが日本は負けていました

「特攻」から、「なんでこんなことをしたのかなあ」、「日本軍は他国の兵隊を殺しただけではなく自国の兵隊も殺したのだなあ」、「人の命は軽かったのだなあ」、「残酷だなあ、無念だったろうなあ」、「優秀な若者が生きていたらよかったのになあ」、ということを感じてほしいし、「お国のために死にます、お母さんさようなら」と(本心かどうかはわからないけど)遺書に書く気持ち、その恐ろしさを理解できるような特攻平和記念館であってほしいと思います

知覧に行ったのはずいぶん前なので、現在はどういう展示をしておられるのか僕は知りませんが、昔はそのような施設ではなく、見ていて気持ちが悪くなった経験があります)

卓球で頑張った選手の人が特攻平和会館に行きたいと言っておられるようなので、ついでに書きました。(若槻)

1120EseRekishiya
【太平洋戦争での日本の戦没者数】
外地の一般邦人死者数約30万人、内地での戦災死亡者約50万人
軍人、軍属、准軍属合わせて約230万人 計310万人(厚生労働省
軍属死者の9割は1944年以降に絞られ、さらにその死の60%が病死と餓死(諸説あります

兵隊さんの「尊い犠牲の上に、平和な日本がある」はウソです! 兵隊さんも民間人も戦争で亡くなった人は、政府に騙された被害者です。
卓球で頑張った選手の人が特攻平和会館に行きたいと言っておられるようなので、心配になって書きました。(スタッフ)


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