2021年3月31日福井新聞の紙面で「蛟龍」(こうりゅう)の水中特攻基地を発見した記事が掲載されました。

 これは、戦後史会議・松江が行った七類水中特攻基地調査に関心を持たれた福井新聞社の伊与登志雄記者が、『島根の戦争遺跡』も参考に現地調査を行い発見されたものです。
1500_1     1500_2
 アジア歴史資料センターが所蔵する「舞鶴海軍引渡目録」には、七類水中特攻基地のほか、この大島と石川県の穴水町麦浦特攻基地が、いずれも「蛟龍」の基地として記載されています。

 そのうち、今回調査された大島特攻基地は最も規模が大きく、製造施設と訓練基地も兼ねた本格的なものであり、当時の日本海側の海軍の軍事拠点でもあった舞鶴鎮守府にも近いことから、大島基地は蛟龍突撃隊の「本部」であり、七類と麦浦は「出撃拠点」ではないかと推測していました。

 今回の伊与記者の調査によって大島水中特攻基地の一端が明らかとなり、その規模の大きさから考えて、私たちの推測もある程度裏付けられた気がします。

 「大日本帝国」は「本土決戦」に向けて、日本海側においても戦闘体制を整えつつありました。七類や大島の特攻基地は、それを具体的に物語っています。

  なお、今回の福井新聞の調査により、『島根の戦争遺跡』に記載した地図に誤りがあったことが判明しました。『島根の戦争遺跡』28ページに掲載した「大島蛟龍製造施設」の場所を別添のように西南方向に修正します。
20210405