戦後史会議・松江

私たちの会は日本の近代化に疑問を持っています。近代化、国家、天皇制、植民地、戦争、ナショナリズム、沖縄、憲法、日米安保、地位協定・・・課題はたくさんあります。私たちは忘れかけている歴史に学び、問題提起をしていくことを目標にしています。

◎『ヒバク2世と語る』開催します

20231028st
日時:10月28日(土)14時から(開場は13時30分)
場所:松江市市民活動センター504会議室
臨時駐車場:当日、
市民活動センターの駐車場は14時30分以降19時30分まで入出庫できません。臨時駐車場(しらかた公園内をご利用ください。

 『ヒバク2世と語る 被爆2世の方のお話を聞いて、紙芝居「はだしのゲン」を見て、考える会』を開催します。

20231018j 広島の「ヒバク2世の語ろう会」で、お母さんの被爆体験を多くの方に伝えようと活動をしておられる、木元誠司さんをお招きしてお話を聞く会を開催します。

 また併せて、フリーアナウンサーの石原美和さんによる、「はだしのゲン(紙芝居版)」の上演も行います。

 戦後78年を経過し、被爆者を含む戦争体験者は確実に減少しました。また一方で、ロシア・ウクライナ戦争の犠牲者は増大し、アルメニアとアゼルバイジャンの戦争(紛争)のように、軍事衝突も頻出する状況にあります。

 日本では、いつの間にか43兆円の突出する軍事費が決定し、琉球諸島全体を要塞化する基地建設が進行中です。

この先、いったい、日本は、世界は、どうなるのでしょう?

戦後史会議・松江では、主として戦争遺跡を取り上げて、島根も十五年戦争とは無縁ではなかった、ということをお知らせしてきました。

「かつての戦争を知ること」が(本当の意味での)「抑止力」になるのではないかと考えているからですが、木元さんなど、被爆者をご家族にお持ちの皆さんがやろうとしておられる事にも通じるのではないか。前々からそのように思ってきました。

そこで木元さんをお招きしてお話を伺うことにしました。

木元さんのお話を通じて、被爆の実態を知るとともに、これからの戦争の伝承をどのように進めるのかも考えたいと思います。

石原美和さんにも、「はだしのゲン」紙芝居を5巻分上演していただく予定です

何かと話題になっている「はだしのゲン」ですが、改めて原爆・核兵器・戦争を考えるきっかけにできたらと考えていますので、皆さんぜひお越しください。

注意:当日、14時30分から21時30分の間、会場の松江市市民活動センター周辺で「土曜夜市」が開催され、ステッィクビルに駐車した場合、入庫はできるが土曜夜市終了後にならないと出庫できないということを、チラシ作成後に知らされました。松江市市民活動センターと交渉の結果、臨時の駐車場を準備していただきましたので、ご来場の際には、できるだけ乗り合わせて来ていただき、駐車される場合には、臨時駐車に車を止めてご参加ください。ご不便をおかけしますがよろしくお願いします。

◎「覚悟」の話

  「ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会」のメルマガで、仲松典子さんが「防衛セミナー」のことについて書いておられます。
 
『止まらない軍拡競争、平和という抑止力追求を』
 (沖縄タイムス9月2日)
20230902j 「去る沖縄防衛局主催の防衛セミナー。講師の話は、「ウクライナが負けているのは侵略を躊躇させるほどの軍備をしてこなかったから。軍備を増強し侵略を躊躇させる抑止力が必要。自衛隊は国民を守り抜く。日本国民は国を守る意識が低い。国民は一丸となるべき。」と私は解した。」

 これを読んで二つのことを感じました。

 一つは、原発の安全神話と軍備の抑止力神話は、どちらも根底で核兵器につながる話で、「わが国」だけではなく世界を滅ぼしかねない、「危険思想」の一つだと思いました。
 よほど注意して、しっかりと考えないと、ふらふらと流されると、とんでもないことになるのではないでしょうか。

 軍備(抑止力)拡張競争には際限がありません。「世界一」の軍備を持たないと「安心」できない、一種の病気のようなものです。そして最終的に、相手に対する恐怖心をなくそうと思えば、相手を殺すしかありません。

 そうなると、「相手は「ならず者」だから殺しても良い」という考え方が作られます。

 そして誰かがこれをコントロールして、自分だけは被害を受けないで、ただ、ひと儲けすることを画策するのです。コントロールされた「弱い」国が滅びます。

 抑止力神話は、「弱肉強食」を前提として、嫌な、質の低い、不安神経症のような考え方から成り立っています。こんな「危険思想」は否定して捨てるしかないと思います。

 もちろんウクライナも、軍事力が弱かったから侵略されたわけではありません。NATOに加盟していたら安全なわけでもありません。

 異なった考え方が必要なのです。

 二つめは、自衛隊に「日本国民は国を守る意識が低い。国民は一丸となるべき。」と言われることについてです。

 これまでも自衛隊の内部ではさんざん言われてきたことなのでしょうが、このようなことが大っぴらに言われるようになる時代がとうとう来たのか、と思いました。

 「国を守る意識」も「国民が一丸となる」ことも、この自衛官が何をイメージして言ったのかよく分かりませんが、かつての日本の軍国主義時代とそう変わらないようなことを言っているのではないでしょうか。

 そこに世界観的なものはあるのでしょうか?

20230914maij つい先日の毎日新聞にも、別添のような記事が掲載されています。そこでは自衛隊内部の自衛隊員を対象とした講演会で、極右論者がしばしば講師になっていることを問題視しています。

 このことは昔から言われていることですが、当然の指摘です。しかもここに上がっている櫻井よしこなどの顔ぶれを見ると、皆さん従米右翼で、かつての赤尾敏や鈴木邦男のような反米右翼はいないようです。このような、極めて偏った極右論者によって、自衛隊員を「一丸」にするつもりなのでしょうか。

 昔は国民学校(小学校)時代から「七生報国」や「滅私奉公」が教え込まれていたわけですが、それを今、自衛隊員を対象にやっていると考えればよいのでしょうか。これで複雑極まりない世界の軍事環境と、うまく渡り合えるのだと自衛隊が考えているとしたら(百害あって一利なしと僕には思えますが)、自衛隊もお粗末ですね。

 自衛隊員の一人一人の気持ちは僕には分かりませんが、少なくともこのような隊員教育をやっている自衛隊に、「国民意識」のことをあれこれ言われたくないですね。

「国を守る意識が低い」とか「国民は一丸になるべき」とか、大きなお世話です。

 そういえば、しばらく前に、台湾に行って「(戦う)覚悟が必要だ」と言った人がい
ましたね。あれは誰に向かっていったのでしょうね。台湾の人に対して言うのは、「お前が何を言う?」ってことでしょうし、では日本人?

 これは、仲松さんが紹介している自衛隊の防衛セミナーの発言ともつながっているのでしょうね。なんとかして国家の言いなりに戦争をさせたいのですね。貧しい市民に。

 以前、高田渡の「自衛隊に入ろう」という曲を紹介したことがありましたが、今回は加川良の「教訓Ⅰ」をそうぞ。1971年 アルバム『教訓』から

命は一つ 人生は一回
だから 命を すてないようにネ
あわてると つい フラフラと
御国のためなのと 言われるとネ
(以下略) 
 若槻真治

◎ウソとホント

 政府関係者の発言を聞いていると、ウソとホントが、めちゃめちゃだと感じることがある。例えば農水大臣の「汚染水」発言はホントである。

 ホントのことを言ったことは良いことなので、これを意図的に言ったとしたらこの大臣は大したものだが、おそらく違うだろう。

 普段は官僚が書いた文章を読んでいるだけだから(それでも当選できるから)、この大臣は言葉が大事かどうか分かっていない。自分の発言に対して責任も感じていない。だから、いざ自分でしゃべろうとして、つい本音が出たのである。

 この大臣を見ていると、何で政治家になったのかよく分からないおっさん(おじさま)が、あまり何も考えないまま年を取って、順番が回ってきて大臣をやっているという、日本の政治で繰り返される習慣がよくわかる。

 言い訳をする会見を見ていて、「政治家の出世ってこんなことなのだなあ」と改めて哀愁を感じた。 これで国民に「政治に対する関心を持ちなさい」とはとても言えない。それが権力の狙いであるのかもしれないが、日本の政治家のレベルの低さを見せつけられて、気が滅入るだけである。

 一方で政府の官房長官は、関東大震災の時の朝鮮人虐殺について、「政府内部には関係する資料がないから、虐殺が本当にあったかどうかは確かめることができない」というようなことを国民に対して言った。

これは真っ赤なウソである。

01 例えば別添の資料は、国立公文書館が所蔵する『大正12年関東大震災関係書類』という綴の中にある、「鮮人迫害に関し内閣総理大臣告諭の件」という稟議書である。稟議書(りんぎしょ)は文案を決裁するために役所の中で回し読みをする書類のことで、内閣総理大臣の「権」もサインをしている。

02 「権」は、関東大震災当時の内閣総理大臣であった山本権兵衛のこと(外務大臣も兼務。ちなみに当時の内務大臣は後藤新平、財務大臣が井上準之助、陸軍大臣は田中義一、文部大臣は犬養毅)。「告諭」だから総理大臣が国民に対して注意を喚起したということになる。

03 ここでは、朝鮮人に不穏な動きがあった時には軍隊や警察が対応すべきことなのに、国民が「迫害」しているらしいことを認めた上で、それは諸外国に知られるとまずいのでやめろいうことを言っている。

 僕は専門家ではないからほとんど知らないが、多分専門家に聞けばこうした資料はもっとたくさんあることだろう。
 しかし、当時の総理大臣がサインしているこのような文書が国立公文書館にあるのに、「政府内にはない」とは一体どういうことなのだ?? これは明らかなウソではないのか?官房長官は国民に対してウソをついているのではないか?

国民に平気でウソをつく官房長官をやめさせなくても良いのか??

国会議員や報道機関はなぜきちんとこうしたことを追求しないのだろう?専門家のコメントや活動している団体の意見だけではなく、こうした資料を新聞に掲載して、官房長官がウソを言っていることを国民に知らせる必要があるのではないのか?

従軍慰安婦の時と同じである。

 「政府内調査では、軍や官憲が慰安婦の強制連行を直接示す公文書はなかった」などというが、これも真っ赤なウソで、資料は残っている。

 しかし、80年前や100年前の事実など認めたら良さそうなものなのに、なぜいったい、こうした見え透いたウソを平気で言うのだろう?一体、なんの得があるのだろう?だれが得をするのだろう?国会や報道機関はなぜいつも追及できないのだろう?

 だれにとってそうなのか僕にはさっぱりわからないが、要は都合が悪いから真実の歴史を認めないだけなのだろうか???

ほおっておけば、自然に歴史が書き換わる(消えてなくなる)と思っているのだろうか???

「国民はバカだから」と…思っているのだろうか???        若槻真治

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